EOS津野
電子光学講座
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 電子を試料などに垂直に当てて、試料から跳ね返ってきた電子を検出器などに入れる場合があります。 例えばLEEDと呼ばれる低加速電子を使った回折装置がそうです。この装置の場合は、検出器の真ん中に 穴を明けて試料に当てる電子線をその穴から通してやり、反射してきた電子ビームは色々な方向に反射 しますから検出器の広い面で受けてやります。入射電子は細く、反射電子は広がっています。垂直に 反射するビームについてはあまり情報を持っていないので、検出器に穴を明ける方法で対応することが 出来ました。
 しかし、一般的にはそう都合良くは行きません。反射ビームの全体を必要とする場合もありますし、 試料のすぐ近くには対物レンズを置かなければならない場合もあります。このような色々な場合に 対してはビームセパレータと呼ばれる、入射電子と反射電子の軌道を分けてやる光学機器が必要に なります。ビームセパレータの用途は大きく分けて、次の3つが代表的なものです。
(1). SEM(走査型電子顕微鏡)の一次ビーム(入射ビーム)と二次電子の軌道を分離する。
(2). LEEM(低加速反射電子顕微鏡)の入射ビームと反射ビームを分離する。
(3). ミラー型収差補正器に入射するビームとこれから反射してきたビームの軌道を分ける。
ここでは、これらのビームセパレータについてその原理をお話します。ビームセパレータには 磁場型とウィーンフィルタ型とがあります。

プリズムアレイビームセパレータ


ビームセパレータには色々な型がこれまで提案されて来ました。それらのほとんどすべてを電流の 調節だけによって実現出来るのが、ここで紹介するプリズムアレイ・ビームセパレータです。そこで、 ここではたったひとつのビームセパレータを使って、その電流の条件を変えることで多様なビーム セパレータを実現し、ビームセパレータの全容をお話しすることにします。

図1と図2にここで使用するビームセパレータの形状を示します。図1の左側がビームが偏向をする面内の形状 (x,Y)、右側に3D画像の鉄ヨークとポールピースを半分カットして中のコイルが見えるようにした図、図2には ポールピースと外側ヨークとの関係を示すためのXZ断面を示しています。これらの図で、図1左の左側から 水平方向(X)にビームが入ります。ビームの出て行く方向は色々で,そこのビームセパレータは電磁石が二重 構造になっています。図1左側の図で桃色に塗られている部分と青く塗られている部分です。両者の間と、 この桃色部分とさらにその外側のリターンヨークの間にコイルが入ります。外側コイルに流す電流(アンペア ターンNI(out)=1に対して、内側コイルに流す電流NI(in)=0とした場合に、両ポールピースは同じ強さに 励磁されます。NI(out)=1, NI(in)=-1とすると、内側の磁極には起磁力が供給されず、内側磁極間は無磁場 即ちドリフト空間となります。NI(out)=1, NI(in)=-2として初めて、外側磁極に対して内側磁極には向きが 反対で強さの同じ磁場が形成されます。つまり、ビームの偏向方向が外側磁極を電子が通る時と内側磁極に 入った後とで逆転することになります。トータルとして90°ビームを偏向するわけですが、内側磁極内では 90°を超えるビームを偏向することが出来るようになります。外側磁極内で反対向きに低いビーを偏向して くれるからで、合計で90°の偏向を達成すればよいからです。これは、後でお話しする スピン回転用の90°偏向磁石と似ています。トータルで90°になるように調節すると言う点においてです。 どうしてそんな面倒なことをするかと言いますと、それは非点なし結像を実現するためです。御承知のように、 一様場を使った偏向磁石では、偏向方向にビームの収束作用がありますが、磁場方向にはレンズ作用が ありません。このため、レンズ作用を持たせるために、通常は磁石のポールピースの入口、出口の端面に 傾斜角を付けて磁場方向(Y)のフォーカスを作り出します。しかし、この作業は大変厄介なもので、適切な 角度を見つけ出すためには何カ月ものシミュレーションの時間を必要とするのが普通です。エネルギー アナライザのようなそれ自身が装置開発の目標となるような機器の開発の場合には、アナライザの基本 設計に一年と言った時間を費やするのは普通と考えられるかもしれませんが、ビームセパレータは一般 的には補助的な光学機器です。別の目的のために必要となる道具で、この開発に長時間を費やしたくない のが普通です。そうした事情を踏まえて、登場したのがここでお話しているプリズムアレイ型のビーム セパレータなのです。このビームセパレータは万能で、もしその必要があればシミュレーションなしで いきなり形状を決めて、作成してしまっても、実験だけによって使いこなして行くことが不可能では ありません。以下に、その理屈を詳しくご説明します。

図3に示したのは、外側と内側のマグネットに同じ向きで同じ強さの磁場を与えた場合に90°ビームを 偏向するに必要な磁場強度を与えた場合の電子の軌道(a)と最終的に画面の下の方から-Y方向出て行く 時のビーム形状を示したものです。軌道から見る限り、きれいに90°偏向して出て行っているように 見えますが、最初に丸いビームを入れたにもかかわらず、ビームは縦長に変形しており、面内のX方向 (b)図の水平方向ではフォーカス作用によってビームは細くなっていますが、画面に垂直なZ方向には レンズ作用がないためにビームは大きく広がっています。Y方向にレンズ作用がないのは、ビームが外側 磁石に垂直に入っていますし、最後に外側磁石から出て行く時にも垂直に出て行っているからです。 外側磁石と内側磁石の磁場の向きが同じですから、両磁石の間に切れ目があってそこでは磁場が弱く なっています(図4の上の図参照)から、その端面をビームが通る時に斜めに横切りますから少しだけ ここでレンズ作用を受けることになりますが、その大きさはごくわずかだと言うことです。

図4の上の図は図3の場合のX方向の磁場分布を示しています。内側用のコイルスペースで磁場の値がいったん 下がっていますが、外側と内側で同じ磁場の値を示しています。このような磁場分布の谷間があり、ここで 幾分のY方向フォーカス作用があるわけです。それを利用して、外側マグネットを3重にもして何段階もの フォーカスをさせようとした例も見られます。図4の下の図はNI(in)=-1とした場合の内側磁極の磁場が ほとんどゼロになっていることが分かります。

次に、内側磁石の励磁をNI(in)=-1として、外側磁石による励磁を内側磁石内ではキャンセルし、図4の 下の図に対応する内側磁石内をドリフト空間にした場合を見てみましょう。図5に90°偏向をさせた場合 の軌道と、その時の出力時のスポットを示しています。おおむね非点の取れた分布になっており、内側の マグネットをドリフト空間にしたことによって、おおむね非点なし条件が達成されたことが分かります。 スポットの縦横の長さを比べてみますと、若干横即ちZ方向に伸びていることが分かりますので、フリンジ によるフォーカス作用が若干勝っている状態にありますので、内側マグネットの励磁を少しだけ減らして やればより非点のない条件を見つけることが出来るものと思われます。

図6, 図7では、内側磁極に与える励磁を外側のそれのマイナス2倍、NI(in)=-2とすることで、内側磁極 の磁場を外側と極性が反対で大きさが等しくなるようにした場合の軌道とその時の出力スポットを 示しています。図6の場合、図5と同じ90°偏向が実現しています。また、図6では同時に反射ビームも 描いています。試料で反射したビームで、シミュレーションでは、入射ビームの最終データの傾斜角を X', Y', Z'のいずれの符号も反転させ、反対向きにビームを発射させています。反射ビームの出口の スポットも描いています。ビームセパレータ内を二度通っていますが、特に収差が大きくなっている 様子は見られず、またこの条件では非点のあまり見られない良好なビームが得られていることが分かり ます。

図7の場合にはビームは180°方向つまり直進しています。外側磁石と内側磁石の磁場の強さが同じで 向きが逆の場合には、このような直進ビームを実現することが出来ます。但し、反射ビームをそのまま 出した場合には入射ビームと同じ方向にビームが帰ってしまいますので、ビームセパレータとしての 役割が果たせません。従って、90°方向に帰りのビームは曲げてやる必要がありますが、そのためには、 内側磁石の励磁条件を変えてやる必要があります。プリズムアレイ型ビームセパレータが初めて提案 された時は内側磁石は4分割されており、色々な条件に対応できると言うことが一つの特徴でした。 その後、特に内側磁石を分割しなくても十分役割が果たせると言うことで、分割されるケースは なくなりましたが、この入射ビームが180°反射ビームが90°偏向と言う条件を満たすためには、 内側磁石の分割が必要です。ここでは、磁石の形状を変えないで電流だけでどれだけのことが 出来るかを調べていますので、この条件についてはモデルを示すだけに止めておきます。又、 一次ビームを偏向させないで直進させることが重要な応用については、このようなChicane型と 呼ばれるプリズムアレイを使う方法の他にWienフィルタを用いる方法がありますので、これについて は後で説明します。

第8図は内側マグネットの磁場の強さを外側の2倍にするため、内側の励磁に必要なアンペアターンを -3倍にした場合です。この場合にはビームは270°偏向、即ち反対向きに90°偏向してくれます。 この場合の軌道の良い点は、電子軌道がマグネットのほぼ中心を通ってくれることです。90°偏向の 場合にはマグネットの1/4の領域しか使われませんでしたが、270°偏向ではマグネット全体の面が使用 されます。今までの軌道のようにフリンジ部分が電子軌道の主な通り道になると言うわけではありません ので、不確定要素が少なくなるように感じられます。図9には、いったん出たビームを反転させて戻して やったビームの軌道も描かせています。この場合にもほとんど非点のないきれいなビームが描かれて います。沢山の領域を通り、大きな角度に偏向されるからと言って収差が増えるのではなく、むしろ キャンセルされているようにも見えます。このあたりのことは、こうした広がったビームについて ではなく、入射ビームを試料などに当てる所にレンズを入れてビームを絞ることで二次収差の発生 などが起こっているかを見なければなりません。

このように、プリズムアレイ式のビームセパレータを用いれば、端面角度の計算などを行うことなく 非点なし結像をするビームセパレータを得ることが出来ます。しかも、電流比を変えるだけで、90°、 180°、270°の方向にビームを出してやることが出来ますので、必要な機器を色々な方向に取り付け、 必要に応じて使い分けると言う利用方法を選択することも出来ます。例えば、直進軌道ではレンズ系 だけの電子顕微鏡として使い、90°偏向方向には半球フィルタを付け、270°方向には別の検出器を 繋げると言った、必ずしも戻ってくるビームがある場合にだけ必要となる機器ではなく、向きを振り 分ける機器としての利用が考えられるわけです。 ここでお話ししたのは、二重の電磁石を使うことによって、電子ビームを偏向し色々な向きにビームを 振り分けるビームセパレータとして使う方法でした。図7に示した例では、ビームは、オメガ型に偏向 されていますので、この方法は、ビームセパレータとしてばかりではなく、エネルギーフィルタと しても使うことが出来るのではないかと思われます。オメガフィルタの設計には磁場方向のフォーカス を得るために、電磁石の端面角度の調節が必要でした。この角度はフィルタを作った後で、調節できる ものではなく、あらかじめ設計時に決めておかなければなりませんでした。一旦端面角を決めてしまい ますと、うまく非点なしのフォーカスが出来なかった場合には、装置の設計からやり直さなければ なりませんでしたから、シミュレーションのためのコンピューター計算プログラム作りから取り掛からな ければならない大変厄介な作業でした。メーカーで何台も作る場合には、それだけの手間をかける価値が ありましたが、一台だけ自分の実験用に作りたい場合などにはとても対応できない大仕事でした。しかし、 ここに示したプリズムアレイ方式を用いれば、設計時の計算は不要で、実験時に電流の調整だけによって 非点なしフォーカスを実現することが出来ます。

もちろん、実験時には、通常のオメガフィルタに比べて、装置は複雑になりますし、電流源も沢山必要 になります。運転時の電気代も多くかかります。しかしながら、一日中運転し続けるわけでもなく、 立った一台を時々使うだけの目的であれば、非点なしフォーカスを実現するために、エネルギー フィルタ設計のためのソフト作りから取り掛からなければならないオメガフィルタの設計の場合と 比較しますと、たった一台の装置を作って、時々使うだけの用途であれば、実験時に電流値の調節を するだけで良いプリズムアレイ方式のビームセパレーターは、オメガフィルタの代用品として、 エネルギーアナライザとしても利用でき切るものではないかと思われます。私は、サラリーマン時代 に商品としてのオメガフィルタの設計から製作まで行いましたが、それに必要だった時間の長さを 考えますと、このプリズムアレイ方式は、エネルギーフィルタへの応用としても優れた方式では ないかと思っています。ご自分で、エネルギーフィルタを自作してみたいと考えておられる人はぜひとも このプリズムアレイ方式を検討して見られてはいかがでしょうか。この方式は、電源が沢山必要であり、 従って、電力使用量もオメガフィルタに比べて何倍も沢山かかります。しかし、設計に取り掛かる前に 事前のソフトウェアの開発からかからなければならないオメガフィルタの設計に比べれば、フィルタの 使用時間が、一日中ではない、短い時間であり、生産台数が一台限りであるような場合には優れた方式 であると考えられます。

実は、非点なしフォーカスを実現する方式として、ここで示しましたプリズムアレイ方式と同様に 非点なしフォーカスをあらかじめの設計することなく実現できる方式がもう一つあります。それは、 ウィーンフィルタです。ウィーンフィルタは構造がこのプリズムアレイに比べて簡単ですし、何よりの 利点は、エネルギーアナライザでありながら、ビームが直進しますので、色々な点で理論と実験の 一致の度合いが高いなど利点も多いのですが、磁場と電場の両方を用いて、それぞれが反対方向にビームを 偏向させて、エネルギーアナライザとして使うにも拘らず、ビームをほぼ直進させて使うため、理論と 実際との一致も良く大変便利なエネルギーアナライザなのですが、電場を使うため、高い加速電圧で 利用するためには、ウィーンフィルタ自身は、ビームを減速してから使わなければならないという 欠点を持っています。このように、色々なエネルギーアナライザは、それぞれ利点も欠点もありますので、 自分の目的をよく考えて、それぞれの事情に合った方式を選ぶ必要があります。その意味で、 プリズムアレイ方式は、ビームセパレータとしてばかりではなく、エネルギーアナライザの一つの 選択肢として考えることが出来のではないでしょうか。
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目次(全体)

0.最初のページ
1.レンズの光学(FromTheGodHand)
2.透過電子顕微鏡(TEM)の電子レンズ
3.
走査電子顕微鏡(SEM)レンズ
4.
光電子顕微鏡(PEEM)電子レンズ
5.収差補正
6.偏向と非点補正
7.エネルギー・アナライザ
8. Wien Filter
9. スピン回転器
10.著者のページ


著者のページ

作成日 2017/08/15 2018/11/19

目次
9. その他のプロジェクト 
9.1.プリズムアレイビームセパレータ(ここ)
9.2. 空間電荷考慮の軌道
9.3. スピンマニピュレータ・回転器
9.4. Voltex
図1. プリズムアレイビームセパレータの形状とコイル。
図2.プリズムアレイセパレータ断面。
図3. 外側と内側マグネットの励磁が等しい場合の軌道(a)とスポット(b)。
図4. 外側マグネットアンペアターンNI(out)=1に対して内側アンペアターン をNI(in)=0(上)とNI(in)=-1(下)にした場合の軸上Y,Z=0磁場分布(X)。
図5. 内側磁石の励磁を外側の励磁と同じで極性を逆転した場合の軌道とスポット。 内側磁極がドリフト空間となる。
図6. 内側磁石の励磁を外側の励磁の2倍で極性を逆転した場合の軌道とスポット 。磁場の強さは同じで極性が逆転する。この図では反射ビームを付け加えた軌道とスポッを描いているト。 この条件では非点が解消されている。
図7.同じく、内側磁石の励磁を外側の励磁の2倍で極性を逆転した場合の軌道とスポット 。磁場の強さは同じで極性が逆転する。この条件では直進ビームを実現出来るが、収差が大きい条件である。
図8. 内側磁石の磁場を外側の倍にした場合の軌道とスポット。励磁は-3倍。
図9. 同じく内側磁石の磁場の強さを外側の倍にした場合の反射ビームの軌道とスポット。励磁は-3倍になる。