EOS津野
電子光学講座

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電子レンズは電子光学のABCであり、XYZでもあります。初めて電子顕微鏡に携わった ときに勉強したのは電子レンズの設計法でした。電子レンズの設計は、有限要素法と言う、 コンピューターを使った計算法を使います。磁場レンズには、磁気飽和と言う現象がある ため、それ以外の計算法は設計できません。独立してからは、一番多く入ってきた依頼は 静電レンズの設計でした。会社勤めの頃は、電子レンズと言えば磁場レンズだったのですが 世の中で広く使われていたのは静電レンズでした。それでも、磁場レンズも加速電圧の 高い場合や、高性能が要求される場合も何度か経験し、そのたびに新たな発見が あったと言いますか、レンズ設計の奥深さみたいなものに感心もし、古い時代に そのことを既に考えた人がいたことを振り返ったりもしながら対応しています。

磁界レンズ

電子顕微鏡レンズ開発の歴史

真空にひかれたガラス管の中に封入された電極に電圧をかけた時に放電を起こす現象は、 19世紀の半ばには盛んに研究されていました。その放電のことは、陰極からビームが出る ことからカソードレイと呼ばれ、このビームが外から磁場をかけることによって細くなる ことも知られていました。このビームが質量を持った粒子であることが確かめられたのは イギリス・ケンブリッジ大学のキャベンディシュ研究所J. J. トムソンでした。 彼は、色々な方法で電子の重さが水素原子の1/2000と小さい値であったことから繰り返し 実験を行いました。1897年に電子のe/m即ち、チャージと質量の比を決めることに成功し ました。いまではこの年がトムソンによる電子発見の年として考えられています。レントゲン によるX-線の発見の2年後です。面白いのは、X線は物質に電子ビームを当てることによって 発生させられていましたし、今でもそうですから、X-線を見つけるためには電子ビームがなければ ならなかったのですが、その当時電子ビームは、カソードレイと言う名前で、光のようなもので、 物質とは認識されていませんでした。ただ、チャージがあることは知られていたわけです。 ですから、トムソンの発見は電子に質量があると言うことを証明したことにあるわけです。 電子、Electronと言う名前はしかし、トムソンの命名ではありません。彼はもっと難しい 名前を付けたのですが、その名前は広まらず、Electronと言う他の人の命名で今日呼ばれて いるのです。

電子に対するレンズ作用も19世紀から知られていました。それをンズの理論としてまとめた のは、ブッシュで、1926年のことでした。彼の理論によれば、磁束密度を増すほど焦点距離 が小さくなること、コイルを鉄芯で囲むとレンズ作用が強くなること、電子ビームの回転角度 は磁場分布に寄らず、その強さだけで<決まることなどが明らかにされました。

電子顕微鏡を発明(1932)したルスカクノール はレンズのポールピースによって磁場分布を細く集中させることで性能 を上げることが出来ることを知っていました。 電子レンズの理論はグラザーによって有名なベル型近似
H(z)=Ho / [1+(z/a)2]
を使ってまとめらましれた。ベル型理論の詳細は、レンツによって紹介されています。ベル型近似は、 軌道方程式が解析的に解けることから、レンズの性質を理解するのに便利ですが、その解法は技巧的です。

これらの内容は、Ruskaが1980年に出版し、Mulveyが英語に翻訳した本[文献1]] とCosslettの電子顕微鏡50年史の本[文献2]から取っています。 Cosslettは コスレーと読みます。イギリスはケンブリッジのキャベンディシュ研究所 に長く勤め、いろいろな装置の発展に尽くした人ですが、日本ではそれほど有名ではないかもしれません。 私は、1985年にロンドンで開かれた王立顕微鏡学会(RMS)の講演会がロンドン大学で開かれたときに、大学 構内の食堂でたまたま向かいの席に座ったおじいさんに突然話しかけられ、長々とした話を聞かされて、 変な人に捕まったものだとそのとき思ったのですが、後でこれがコスレー先生だと教えられたのが彼と 話をした唯一の機会でした。

磁界電子レンズの種類と目的

電子顕微鏡にはTEM, STEM, SEM, LEEM/PEEMがあります。TEMとLEEMはビーム照射系と拡大系の両方がありますが、 STEM, SEMは照射系のみ、PEEMは、電子光学系は結像系のみのレンズを持っています。照射系、結像系いずれも試料 と向き合う対物レンズが必要です。その他のレンズは照射系の場合はコンデンサレンズ、結像系の場合は中間レンズ と投影レンズがあります。電子レンズはこの他に、分析装置の補助としても用いられています。 右図には、典型的な対物レンズとして用いられる5種類の電子レンズとその他の特殊な磁界レンズの一例を示して あります。対物レンズの名称は全ての型で用いられるSEMでの名称を使っ手説明していますが、他の顕微鏡では 別の名前で呼ばれたりしています。

コンデンサ・オブジェクティブレンズ

図(1)は、SEMでは最高の空間分解能を出すインレンズSEM です。もともとTEMでは リーケ・ルスカのコンデンサ・オブジェクティブレンズ と呼ばれた高分解能ポールピースの代表的な型です。 小さい穴径、狭いギャップ、狭い頂面径、およそ60° 付近のテーパー角度を特徴としています。ルスカは電子顕微鏡の発明者として知られており、ベルリン工科大学に いるときにクノールと共に電子顕微鏡を作ったわけです。そのルスカはやがて電子顕微鏡を商品として発売した ドイツの巨大電機会社シーメンスに入社したわけです。そこで実際に電子顕微鏡の設計などを手掛けたのがリーケ になるわけです。初期の頃は、電子顕微鏡では生物系試料は電子線にやられてしまい、いわば焼け焦げたするめを 見ているようなもので、それほど売れなかったわけです。たまたまルスカの弟が生物学者で生物試料の電子顕微鏡 観察方法をいろいろ研究してくれたのです。金属試料などは、それを観察できるほどに薄くできる技術がなく、最初 の頃は生物試料が中心でした。やがて、薄膜をコーティングしてそれをはがすことで電子顕微鏡で観察出来る厚さの 膜を作り、それで金属表面の観察が出来るようになったわけです。これをレプリカと呼びました。しかし、 このことが今度はSEM(走査電子顕微鏡) が開発された時にその普及を妨げることになりました。SEMは、表面の凹凸などを観察するのに優れた顕微鏡でしたが、 初期の頃は、このTEMのレプリカ膜と言うコーティングした膜のTEM観察に分解能の点で到底及ばず、 SEMも、せっかく発明されながら、しばらくは普及しなかったのです。

さて、リーケ・ルスカのコンデンサオブジェクティブレンズ[文献3]を磁気飽和させて使うことの利点も この年発表されました。この年と言うのは、京都で国際電子顕微鏡学会が初めて開かれた年です。この年を境に 日本は電子顕微鏡を生産する国として世界に出て行くわけです。このコンデンサオブジェクティブレンズでは 上下対称なヨークおよびコイルが用いられていましたが、TEMの照射ビームを低倍で広げるための第3コンデン サレンズを対物レンズの近くに置くために、非対称型となりました。本格的な利用は原子分解能像になって からです。

それ以前には、日本電子製では谷中レンズ 、日立製ではT型ブロックレンズ と呼ばれた上極の穴径のみ が大きなレンズが用いられていました。これは試料を上から落とし込む方式が用いられていたため、上極の穴径 を大きくしても分解能を落とさないよう工夫されたレンズでした。SEMでの利用は、試料を磁場の中に入れること によってビームサイズを小さくし、高分解能を得るためにTEMのレンズを使って行われたものでした。この谷中 レンズが発表された[文献4]のもLiecke, Ruskaレンズと同じ19966年の京都国際会議においてでした。対称レンズ と非対称レンズ、ドイツと日本の電子顕微鏡レンズの性能競争も1966年から始まっていたのです。

SEMのコンベンショナルレンズ

図(2)はSEMでコンベンショナルと呼ばれるレンズで、試料にレンズの磁場がかからない方式です。もともと光 の顕微鏡からの連想で、最初はTEMでも試料とレンズは離して置かれていました。光で高倍率を得るための 液浸法に対応して、TEMでは試料をレンズ磁場中に入れる磁場浸潤型に移行しました。電子顕微鏡メーカーの うちで、電場レンズを使っていたメーカーのほとんどが市場から撤退して行ったたのですが、その理由の一つが この磁場浸潤型レンズへの移行による分解能の向上があったのではないかと想像しています。なぜなら、電場 の中にTEMの試料を浸すことは困難だったからです。ところが、SEMでは、試料から出たエネルギーの低い 二次電子を検出する都合から試料に磁場がかからない方式が長く用いられました。 試料に磁場が掛ると、 エネルギーの小さい二次電子は磁場の磁力線に絡みつくように磁極の中に吸い込まれてしまいます。普通の SEMでは、検出器はエバハート・ソーンリー検出器と言って、電子が当たると光を出すシンチレーター とその光を受けて、それを再び電子に変えてから二次電子増倍管と言う電子管を使って増幅する検出器 が使われていました。このエバハートとソーンリーと言うのは、先にお話ししたケンブリッジ大学の エンジニアリンク゛部の教授であったサー・チャールス・オートレイと言う先生のお弟子さんたちの 名前です。サー・チャールスが実質的には現在のSEMの原型を作った人で、やがて同じケンブリッジにある ダーウィンのおいに当たる人が始めたケンブリッジ・インスツルメント社で商品化されるわけです。SEMの 検出器とレンズの関係についてはSEMのところで詳しく述べます。

SEM:磁界浸潤レンズ semi-inlens

図(3)は空間分解能向上のための磁界浸潤レンズ で、semi-inlens と呼ばれている、試料に磁場のかかるタイプの対物レンズです。二次電子は、レンズの磁場に絡みついて らせん運動をしながらレンズの穴を通して吸い込まれていくため、対物レンズの上から検出するスルーザ レンズ方式が取られました。この試料に磁場の掛るタイプの対物レンズがSEMで普通に用いられるように なるまでには長い道のりがありました。名前も色々に変わりました。現在ではセミインレンズと呼ばれる のが一般的ですが、シングルポールレンズ、シュノーケルレンズと言った名前で呼ばれた時期もありました。 シングルポールレンズ[文献5]は、イギリスはバーミンガムにあるアストン大学のマルベー先生が考案したもので、 もともとはTEM用に考えられたものでしたが、SEMへの応用として広まりました。これは、ポールピースが 片方だけしかないレンズで、磁場はレンズの外に広く漏れ出します。と言うことでレンズの励磁電流が 普通のレンズに比べて、沢山必要になりましたので、次第に色々な工夫がなされて、反対側のポールピース が付くようになり、でも、磁場はかなり外に漏れ出すようなレンズが作られて行きました。最終的にたどり 着いたのが図(3)のような形だったわけです。ところが、その形は1990年に中国・西安の西安交通大学T.T. Tang先生が考案していた[6文献]Side gap lensと同じ形だったのです。しかし、SEMの人たちはTang先生の 論文を引用する人はほとんどいませんでした。Mulvey先生のレンズから出発して、試行錯誤の末にたどり着いた 形だと思っていたからではないかと想像されます。Tang先生の論文は、SEMとは別の所で、XPM等のX-線分析装置 用のレンズとして使う人が引用しているようです。いずれ、このレンズがTang(唐)レンズと呼ばれる日の来る ことを願っています。

リターディングレンズ、カソードレンズ、ブースター

以上は純粋な磁場レンズですが、低加速電圧SEMやLEEM/PEEMの対物レンズでは図4に示すような電場を重畳 したレンズが用いられています。SEMのレンズは縮小系で、電場は加速電圧を減速するように働くので リターディングレンズ と呼ばれています。LEEM/PEEMは拡大系で、電場は加速場として用いられ、 電子銃と同じカソードレンズ と呼ばれています。両者は電子光学的にはさかさまの関係にありますが、 レンズの形状や電子軌道は同じです。この方式では、試料を高電圧上に浮かせている場合と、試料はあくまでも アース電位におき、レンズをあるいはその一部を高電圧におくタイプとがあり、使い勝手の良さ を求めていろいろな工夫がなされています。

一方、図(5)に示すブースター方式 は、試料をアース電位で用いることのできるリターディング方式です。 細いパイプの中に高電圧ビームを通し、試料やレンズはアース電位上に置かれます。LEEM / PEEMでも同じ 方式が利用できると考えられますが、LEEM/PEEMでは試料を高電圧上に置くことにそれほど抵抗感がないせいか、 今のところそのような例は見られません。

北大の朝倉研究室にあるPEEMは、朝倉先生の特別の要求で、試料 アース電位方式のPEEMになっています。試料室以外の装置全体が高電圧上にあるため、10kVとは言え長い距離が 高電圧上に置かれ、注意深く扱われています。ウィーンの科学博物館には、電子銃が高電圧ではなく、アース 電位に置かれたTEMが展示してあります。オペレーションする人は、高電圧の鏡筒の隣で、顕微鏡像を 観察しますから、鳥かごのような金網の中に入って像を観察します。TEMの場合は、現在普通になされている ように、電子銃を高電圧上に置くことで解決したわけですが、PEEMの場合は、試料をアース電位に置くと、鏡筒 全体を高電圧上に置かなければならなくなります。

ダブルギャップ(三磁極)レンズ

図(6)は、対物レンズ以外の磁界レンズの一例として、ダブルギャップ(三磁極)レンズを示しました。 両ギャップに同じ励磁電流が反対向きに加えられる。磁場による像回転がキャンセルされ、一つには 異方性歪収差(S字収差)がキャンセルされる投影レンズとして利用されます。これは最初にMulvey先生が 考案されたもので、先ほど上げたレンズの文献[文献5]に紹介されています。このダブルギャップ3磁極 投影レンズは、その後私が電子顕微鏡レンズに携わった初めての仕事として取り組みました[文献7]。 もう一つは、スピンLEEMなどでスピン回転をキャンセルするコンデンサレンズ系 として用いられています。

磁界レンズの設計と製作

 磁界レンズの設計には(1).磁場計算、(2). 電子軌道計算、(3). 収差計算を行った上で収差の少ないレンズ形 状を選択するというプロセスで進められます。図7には、図5に示したブースターレンズについて、電場分布 と磁場分布を計算した後に、場の等高線分布を描いた図を示ましした。また、図8には、これらの電場と磁場の 重畳場の中を電子がどのような軌道を描いて進んでいくかを計算した例を示しました。

文献

1. The Early Development of Electron Lenses and Electron Microscopy
by Ernst Ruska, Translated by Thomas Mulvey, S. Hirzel Verlag Stuttgart (1980)
2. V.E. Cosslett: Fifty years of instrumental development of the electron microscope, in Advances on Optical and Electron Microscopy, R. Barer and V.E. Coslett Eds., 215-267, Academic Press (1991)
3. W.D. Riecke, E. Ruska: A 100kV transmission electron microscope with single-field condenser objective, 6th Int Cong. Electron Microscopy, pp.19-20, Kyoto, Maruzen (1966).
4. T. Yanaka, M. Watanabe, Aberration coefficients of extremly asymmetrical objective lens, 6th Int Cong. Electron Microscopy, pp.141-142, Kyoto, Maruzen (1966).
5. T. Mulvey, Magnetic electron lenses II, Electron Optical Systems, SEM Inc. AMF O'Hare, 15-17 (1984).
6. T.T. Tang, J.-P. Song, Side pole-gap magnetic electron lenses, Optik 84 (1990) 108-112.
7. K. Tsuno, Y. Harada, Elimination of spiral distortion in electron microscopy using an asymmetrical pole-piece lens, J. Phys. E.:Sci. Instrum. 14 (1981) 955-960.


図1.コンデンサ・オブジェクティブレンズ

図2.コンベンショナルレンズ(SEM)

図3. セミインレンズ

図4.カソードレンズ

図5.ブースターレンズ

図6.3磁極レンズ

図7.図6のブースターレンズの電場および磁場計算後の場の等高線分布。

図8.図6のブースターレンズの電子軌道。

目次
.1.電子レンズの光学

.1.1. FromGodHand
.1.2. レンズ設計のためのMunroソフト
.1.3. 電子光学レンズの種類
.1.4. 電子光学レンズ開発史
.1.5. 静電レンズI
.1.6. 静電レンズII
.1.7. 磁界レンズ
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目次(全体)

0.最初のページ(このページ)
1.レンズの光学(FromTheGodHand)
2.透過電子顕微鏡(TEM)の電子レンズ
3.
走査電子顕微鏡(SEM)レンズ
4.
光電子顕微鏡(PEEM)電子レンズ
5.偏向と非点補正
6.収差補正
7.エネルギー・アナライザ
8. Wien Filter
9. その他のプロジェクト
10.ヨーロッパ(Czech)訪問
11.著者のページ

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著者のページ 作成日 2012/09/25 修正 2014/09/14, 2018/02/11, 2018/11/17, 2019/03/18 .