EOS津野
電子光学講座
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光電子については顕微鏡機能よりも分析機能の方が発達してきたと言えるかもしれません。光電子分光のための装置 としていま圧倒的に多く使われているのが半球フィルタです。私はこれまでにTEMやLEEMのための分析装置として磁場 型のオメガフィルタや電場と磁場を重畳するウィーンフィルタを何台か手掛けて来ました。半球フィルタも色々解析 はしてきましたが、実際に作る機会はありませんでした。ここでは、PEEM装置の分析についてお話しした後で、実際 に作っている、あるいは作ったことのあるウィーンフィルタについてPEEMと繋いだ場合のことを考えてみたいと思います。

光電子分光について

光電効果とエネルギースペクトル

光電子と言うとアインシュタインのことを思い浮かべます。アインシュタインは 1905年に3編の論文をAnnalen der Physikに書きました。最初が光電効果の論文で、 二番目がブラウン運動、三つ目が特殊相対論の論文でした。アインシュタインは、 光電効果の実験をしてこれを発見したわけではなく、実験的に見つけたのはヘルツ だと言われています。アインシュタインは特許事務所に勤めていて、理論屋さん だったわけです。光電効果については、プランクの量子論に従って説明している そうです。強い光が試料に当たると電子が試料から放出されます。その電子の運動 エネルギーEkは、光子によってもたらされたエネルギーhfとこの電子が試料から 飛び出す仕事をするのに必要とされるエネルギーである仕事関数wの差、

Ek = hf -w

で与えられます。これがアインシュタインの論文にある内容だったわけです。電子は 個体の中のエネルギーバンドの中で照射した光のエネルギーから仕事関数を差し引いた 値に丁度一致したエネルギーを持って出て来ます。エネルギーの小さい光を当てると 伝導バンドだけからしか電子は出て来ませんから、エネルギー分布は幅広い分布と なります。これに対して、加速器などを使ってエネルギーの高いX-線を試料に照射 しますと、高いエネルギーのバンド1s, 2s, 2pなどのバンドからの電子が出てくる ことになり、エネルギー幅は狭くなります。この関係を説明するための図が図1~3 です。

図1は、孤立原子の構造を示す模型と、そのエネルギー構造を示しています。電子 は原子核の周りをまわっていますが、その時エネルギーはディスクリートに分かれて います。原子核に近い所を回る1s, 2s, 2pなどの電子から、離れた所を回る3s, 3p, 3d などの電子に分かれているわけです。原子が集まって結晶を作りますと、図2に示し ましたように、エネルギーレベルが原子の数だけに分かれますからそれらが繋がって しまいます。これがエネルギーバンドです。そして、外側の電子は隣近所の原子核 の周りをまわっていた電子との間のエネルギーの乗り越えなければならない障壁を 超えたエネルギーとなるため、自由に動き回れる自由電子となります。このように 原子核から離れた、エネルギーの弱い領域はエネルギーの幅が広いバンド構造をして おり、エネルギーの高い領域では、電子は孤立して狭いエネルギー範囲しかもって いないことになります。

このような結晶に光をあてて光電子を発生させ、そのエネルギー分布を測定した場合 を図3に示します。バンドの構造とエネルギースペクトルは一対一に対応したものに なります。このように、光電子ペクトルは試料のバンド構造の直接的反映として 考えることが出来ますから、試料に電子を照射して得られるスペクトルとは別の大きな 意味を持つことになるわけです。 しかし、これには制限があります。水銀ランプなどの照射で得られるエネルギーの レベルでは、高いエネルギー範囲のスペクトルを作ることは出来ません。加速器から 取り出せる高いエネルギーのX-線だけがこの目的に使用できるのです。と言うことで、 光電子のエネルギー分析は二つの目的に分かれて来ます。試料から光電子を取り出す のに必要なエネルギーである仕事関数を測定すると言った低エネルギーの光源を使って 出来る仕事と、バンド構造を調べる高エネルギーX-線を用いて行う仕事です。

高エネルギーのX線を照射した時に出てくる電子は、そのエネルギーから仕事関数を 差し引いたエネルギーに対応するエネルギーバンドからだけ電子が出てくるわけでは なく、それよりエネルギーの低い全てのバンドから電子が出て来ます。つまり、光電子 のエネルギー分布はバンド構造そのものの幅広いものになります。ですから、このまま レンズ系に入れて光電子像を見ようとしても問題があります。二つの問題です。 一つは、エネルギー幅の問題で、数百から1kV程度と言った大きなエネルギー幅を持つ 電子を相手にするのでは色収差のため、とてもまともな像になりません。二つ目の 問題は、PEEMでは一般に電子を10~20kVに加速してレンズ系に入れます。この時、 エネルギーの小さい電子は広い角度に光電子が放射されても収束します。これは前の ページで1eVと10eVで放射された電子について対物レンズの中をどのように電子が 収束されていくかを示しています。1kVで試料から出た電子などはほとんど収束されずに 対物レンズに入っていきます。従って、対物レンズのコントラスト絞りを通り抜ける 電子の大部分はエネルギーの小さい電子つまり、原子に強く束縛されていた電子から 出た光電子だけになってしまうと考えられます。伝導バンドなど、外側のバンドから 出てきた電子は高いエネルギーを持っていますから、対物レンズの加速場の中で収束 せず、コントラスト絞りでその大部分が失われると考えることが出来ます。このため、 試料から出るときの光電子のエネルギー幅は大きくとも、実際には試料から出るとき のエネルギーの低い、従って高いエネルギーのX-線で初めて出てくる内核の電子 だけが像の形成に寄与しているとも考えられますので、案外色収差の影響をあまり 受けないすっきりした像が取れている可能性もあります。

しかし、もともと中心軸方法と言いますか、試料にほぼ垂直に出た光電子は いかなるエネルギーであっても絞りを通り抜けるわけですから、加速作用による エネルギー選択ではエネルギーフィルタのようにエネルギー領域をきちんと制限する ことは出来ません。従って、エネルギーアナライザは、分析のためばかりではなく、 像観察の場合にもモノクロメータとしての役割が期待されることになります。

エネルギーフィルタの製作

エネルーギアナライザ製作の立場からは、仕事関数測定用エネルギーフィルタは 比較的簡単な構造のアナライザで良いと思われます。エネルギーバンドの測定用 の場合には狭いエネルギー幅の測定が要求されますので、ある程度高級な装置が 求められます。もちろん、後者のフィルタで前者の測定をすることもできるわけです。 図4に放射光を使って特定の高エネルギーX-線を分光した上で試料に照射し、試料から 放射された光電子をレンズ系で分析装置に導く典型的な例を示しておきました。現在 では表面分析のほとんど全てと言って良いほどの分析装置が、図4に示すような半球型 (Hemispherical)のアナライザになっています。以前はミラー型が多かったのですが、 収差の少なさ、シミュレーションなどの解析の容易さから、形状は大きくなるものの、 ヘミスフェリカルアナライザが好まれているようです。以前はSDA180と呼ばれた180° 偏向でX, Y両方向のフォーカスが実現する型のフィルタですが、SDA180と呼ばれた時 には、半球の全体を使用するわけではなく、これを輪切りにして使用していたようです。 もちろん、輪切りにしますと、その幅にもよりますが、フリンジでの場の乱れが最終 性能に影響を及ぼさないとも限りませんので、半球全部を使った方が安全なわけです。

第5図は私どもで製作中のウィーンフィルタを使用したエネルギーフィルタをPEEMに 組み込んダ系の試料面からエネルギー選択を行うスリット面までを示したものです。 ウィーンフィルタはエネルギーアナライザの中では特異な直線の光軸を持つものです。 光軸が直線をなすことから、フリンジ場の影響が単に場の強さが段階的に低くなって いるだけで直線のままと考えることが出来ます。半球型を含む電場あるいは磁場 フィルタでは、フリンジ場では光軸が直線から外れるにもかかわらず、まだ一定半径 の円にも載っていないという複雑な状況になります。従って、光軸の曲がった系の フィルタの収差理論はフリンジを無視した理論しか作れないわけですが、ウィーン フィルタの場合は、フリンジを考慮しない理論と、シミュレーションの結果が良く一致 してきます。これはウィーンフィルタの大きな利点の一つで、直線の光軸を持つが故の 理論の単純さと、シミュレーションのやりやすさなど、高性能を実現しようとした時に 他の系を圧倒する有利さを持っています。

図6に3種類の多極子ウィーンフィルタの3D表示とXY断面を示してあります。 ウィーンフィルタそのものの説明は ウィーンフィルタ の項を見て頂くことにしますが、多極子フィルタを必要とする理由だけは述べて おきます。ウィーンフィルタの特徴は光軸が直線をなすと言うことですが、光軸が直線 を示すためには電場Eと磁場Bがウィーン条件と呼ばれるE = vB (vは電子の速度)の関係 を満たさなければなりません。電圧と電流の関係を調節すればフィルタの中心付近では ウィーン条件を満たすことが出来ますが、フィルタの入口と出口、これをフリンジと 言いますが、そこで電場と磁場の立ち上がり、立下りのカーブが違っていますと、 中央でウィーン条件が合っていても、フリンジ部の場所によってはこの条件を 満たせなくなる場所が出てくることになります。ウィーン条件を満たさない場所では 、ビーム偏向されてしまいますから、ビームは曲がってしまいます。このため、 ウィーンフィルタの設計に当たっては、全領域でウィーン条件を満たすことと言う 厳しい条件が課せられます。この条件を満足するのが多極子ウィーンフィルタと言う わけです。

(a)に示しました8極フィルタはコイルを真空外に出すために、真空チャンパを途中に はめ込み、その外側に多極子をさらに伸ばして真空の外側にコイルを巻く構造になって います。このようにしますと、厳密には磁極の方が長い構造になるわけですが、この 程度の形状の違いですと、ビームの偏向は起こりません。(b)の場合は、4本の極を途中 で折り曲げて3つの極を束ねてまとめてコイルを巻く方式を取っています。また、電極 の方も3本ずつまとめてあります。このようにすると電流用、電圧用共に電源の数を 節約できますし、コイルも二個で良くなります。もう一つの良いことは、各極がそれ ぞれバラバラではなくある程度まとまっていますので、組み立て誤差を小さく抑える ことが出来ます。

一方、(c)のウィーンフィルタでは電場と磁場のフリンジでの分布を一致させるために 特別の方法を使っています。というのも電極は金属で磁場はコイルで発生させるだけで 磁極がありませんから、多極子を使ったとしてもそのままではフリンジでの場の分布を 一致させることは出来ないからです。図5のフィルタ部分を見ますと、電極の形がビーム の進行方向Zに対してカーブしていることが分かります。コイルの磁場分布はフリンジで 緩やかな変化を示すため、電極間の距離を入口、出口で中央より広げることで電場の 分布の立ち上がり、立下りを緩やかにします。方法は実はこれ一種類ではなく、別の 手段も組み合わせて、総合的にビームの曲がりが少なくなる条件を求めます。 シミュレーションが必須の方法と言えましょう。問題は、シミュレーションと実際の 形をどれだけ一致せることが出来るかと言うことになります。それではなぜ、この ように難しい方法をあえて選択するのかと言いますと、それは金属磁性材料を使い たくないと言うことです。磁気特性のばらつきによって各極で作られる磁場の値が変化 する場合があります。熱処理の不手際などが原因になります。コイルの作る磁場は 計算によってきっちり決まります。ここに示した3通りの方法はその目的、製造環境 などそれぞれの理由によっていずれも実際に使われています。










図1.孤立原子の中の電子の軌道とエネルギー構造。
図2. 原子が集まって固体を作るとエネルギーレベルは原子の数だけ出来てバンドを作る。
図3.バンド構造とエネルギースペクトルは対応している。
図4. 光電子スペクトルを観測するための半球アナライザ。
図5. ウィーンフィルタをPEEM用エネルギーフィルタとして利用した例。
図6. 3種類の多極子WienFilter。(a):超高真空用。 (b):コイルを2個に減らした多極子。 (c):コイルと電極による多極子(鉄芯なし)。


第一章. 光電子顕微鏡PEEMとはどんな装置か
第二章. myPEEMはどのようなPEEMか
第三章. 光電子分光について

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作成日 2013/05/07

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目次(全体)

1.最初のページ
2.レンズ設計
3. 透過電子顕微鏡TEMの電子光学
4.偏向と非点補正
5.走査型電子顕微鏡SEMの電子光学
6.光電子顕微鏡PEEM
7.エネルギー・アナライザ
8.Wien Filter
9.収差補正
10. スピン回転器
11.著者のページ