EOS津野
電子光学講座
電子顕微鏡の対物レンズではTEMのように像を拡大するレンズとSTEMやSEMのように電子銃で 作られたビームを縮小して試料に当てる場合があります。この他に実は平行なビームに対する 要求もあります。電子回折を行う場合がこれに当たります。最近では電子回折図形から顕微鏡 像をコンピューターの中で生成させるDiffract Imagingと言う手法が研究されており、高度な 平行ビームが要求されています。また、強度の弱いビーム、例えば陽電子ビームで電子回折を 行いたい場合、あるいはパルスビームで短い時間内に撮影をしてしまうため比較的サイズの 大きな入射ビームを使って平行ビームを作りたい場合もあります。こうした平行ビームに 対する要求をここでは考えてみます。

かつて電子顕微鏡で平行ビームの要求と言うとマグネティックドメイン即ち磁区観察の ためのローレンツ電子顕微鏡が主なものでした。最も手軽な観察法は、デフォーカス法 と言って、フォーカスを大きく外すことで磁壁に黒と白のラインが浮かび上がって来ます。 この磁壁の線は、試料に照射するビームの平行性が高ければ高いほどシャープになりました。 そこで、コンデンサレンズを十分に開いて照射ビームを暗くすることで平行性を高め、一分 程度も露出をかけることで撮影を行ったものでした。今はケーラー照明と言うのが平行ビーム を作る一般的な手法と考えられています。ここではケーラー照明についてまずは詳しく説明 します。

一様ビーム生成のケーラー照明

ケーラー(Koehler)の論文は、1893年に[文献1]に記載されています。つまり、すでに120年以上 も前のことなわけです。名前のKoehlerのoはウムラウトと言うのでしたか普通のoではなく その上に点が二つ付くoです。ドイツのZeissと言う光学機器メーカーの社員でした。それか ら100年後の1993年にイギリスの顕微鏡学会であるRoyal Microscopical Scietyのプローシー ディングス[文献2]にその原文と英語の翻訳が掲載されました。

この翻訳を読んでみますと、Koehlerが何をしようとしていたのかが具体的に分かります。我々 は光の顕微鏡と言いますと、豆電球で試料を照明しているのを想像しますが、ケーラーの時代 には、ブンゼンバーナーでガスを燃やして照明をしていました。その場合、明るさのむらが最大 の問題でした。Koehlerが考えたのは一様な照明法だったのです。その方法として彼が提案した のは、光源の一点は試料全体を照らし、試料の一点は光源の全体から照らされる照明法と言う ものでした。確かに、光源が点ではなく面積を持っており、その場所によって明るさにむらが ある場合の照明法としてこの原理は優れた方法であることが分かります。光源の一点が試料 全体を照らし、試料の一点が光源全体によって照らされていれば有限の大きさのむらのある 光源でも試料は一様な明るさで照らされることになります。

この光源の一点は試料全体を照らすと言うのは一点から出たビームが試料全体を照明する わけですから平行ビームを作ると言うことであり、試料の一点は光源全体から照らされる と言うことは光源の色々な場所から出たビームが試料の一点に集まると言うことであります。 ここで気が付くことは、Koehler照明は一様なビームの照明法であって、平行ビーム生成法 ではなかったわけです。平行ビームであるためには、光源の大きさを小さくする必要がある ことが分かります。試料上の一点は光源全体から照明されるからです。つまり、光源と 試料の距離と光源のサイズで決まる角度分だけ傾いて照明されるわけです。

つまり、Koehlerは、レンズの焦点(回折)と像の関係を述べていたと現代の言葉では 言い換えることが出来るわけです。この関係をシミュレーションで図1に、模式図として 図2に示します。光源を対物焦点面にフォーカスさせれば試料は一様に照明されると言う ことになります。コンデンサレンズで対物レンズの前方焦点面に光源の像を結ばせれば 良いというわけです。

このKoehlerの照明法をZeissのProbst[文献3]は1991年にアメリカの電子顕微鏡学会で平行 ビームを照射する電子顕微鏡の光学系として紹介しました。
Koehlerの論文の英訳を見るまではProbstの説明だけではケーラー照明法は難しくてよく 分かりませんでした。何か特別な方法のような気がしたからです。しかし、Koehlerの論文 を見てしまうと、電子顕微鏡による平行ビームの生成に必要なことは、ケーラーの言う前方 焦点面にビームを収束させると言うこと以外に、その前方焦点に収束させたビームを出来る だけ小さくすると言うことが求められていると言うことが図3からわかります。つまり、 ケーラーの場合は、前方焦点にフォーカスしたビームは必ずしも小さくありませんから、 この焦点面の中心から出たビームだけが平行ビームとして試料全体を照らすことになり ます。前方焦点面の光軸から離れた位置にフォーカスしたビームは、その位置から試料 全体を照らしますが、もはや平行ではなく、角度を持って試料を照らすわけです。つまり、 Probstは電子顕微鏡による平行ビーム生成法をZeissでとっくの昔に考えられたものだと 照明することで権威ずけるために、丁度100年前に提案されていた同じ会社のケーラーの 論文を引用して、あたかもその方法がZeissでは100年も前からわかっていたように述べた のだと思われます。ケーラーが述べたのは、「光源の一点は試料全体を照らし、試料上の 一点は光源全体から照らされる」と言うものでしたが、Probstは、幸い電子顕微鏡の照射 ビームのビーム径はこれが小さかったものですから、対物レンズの前方焦点面に出来た光源 の像が一点に収束していると考えてケーラーの照明法で平行ビームが出来るとしたわけです。 折イメージングなどでは高い平行性の他、ビームの照射領域の大きさを小さくしたい といった要求もあります。その場合は二つのレンズの間の関係はどのようにしたら良い のでしょうか。その答えは案外簡単で、対物レンズの焦点距離を短くすれば良いのです。 そのことは図3に書いた光線図を見ればわかります。しかし、実際にレンズを設計して みますと色々な困難が出て来ます。焦点距離を短くすると言うことは、焦点面が対物 レンズの場の中に入ってしまうかもしれません。こうなりますと、前方のコンデンサレンズ で対物焦点面に作る微小ビームに影響が出ます。ここに微小なビームを形成できなくなり 大きな収差が発生してビームが広がります。ですから、対物前方焦点位置は必ずレンズの 場の外になければなりません。と言うことは、対物レンズのギャップと穴径を小さくしな ければなりません。これらを小さくすると言うことと焦点距離を短くすると言うことは同じ 方向を向いたことですのでそれ自身は問題ありませんが、視野カットの問題が起こる可能性 があります。

ビームの平行度に対して磁場によるビームの回転が効く可能性があります。ビームはレンズ 作用によってだけ傾くわけではなく、回転によっても傾きます。この傾きをなくすための方法 は二つあって、一つはレンズを静電レンズにすること、もう一つは磁場レンズでも回転を補償 するダブルギャップレンズを使う方法です。ダブルギャップレンズは3磁極レンズとも呼ばれ、 像回転に伴って生ずるS-字歪収差(異方性歪収差)を発生させない投影レンズや、スピン偏極 電子ビームを積んだSpLEEMなどでスピン回転をさせないためのレンズなどに使われています。 ここでは、回転によってビームの平行性が崩れるのを防ぐために使うことが出来ますが、 図4の形状を見ればわかるように、ギャップが2個ある分だけ大きくならざるを得ません。 そのため、上で説明した微小サイズの平行ビームを必要とする場合には使いにくいレンズに なります。 一方、静電レンズもビームの回転をしませんから回転によるビーム傾斜の恐れはありません。 しかし、図5に示しますように、静電レンズとして一般的なアインツェルレンズはやはり3極 構成で、ギャップを2つ持つため、小さなビームサイズを作りたい場合には有利な方法とは 言えません。

図1. ケーラー照明のレンズ配置。コンデンサレンズで対物前方焦点面にフォーカスを作れば 対物レンズから出るビームは平行になる。
図2. Koehler照明の光線図。光源の一点は試料全体を照らし、試料上の一点は光源の全ての位置から照らされる。
図3.ケーラー照明の平行ビームサイズを小さくするには対物レンズの焦点距離を短くすれば良い。
図4.磁場レンズによるビームの回転を補償するためのダブルギャップレンズ。
図5.静電レンズ。アインツェルレンズと呼ばれる静電レンズは3極構成で、3磁極磁場レンズと似た形状を持っている。
図6.対物レンズの焦点面にビームが一点に収束せず、球面収差によって光軸方向に広がりを持って分布した場合の 平行ビーム生成。

文献

1. eitschrift fur wissenschaftl. Mikroskopieと言う雑誌のvol.10, pp433-440 Ein neies Beleuchtungsverfahren fur mikrophotographische Zwecke (1893)

2. A new system of illumination for photomicrographic purposes, translated by P. Evennett, Proceedings RMS vol. 28/4, 1993

3. Koehler illumination advantage for imaging in TEM, W. Probst, R. Bauer, G. Benner, J.L. Lehman, (1991) EMSA, San Francisco Press, pp.1010-1011.
Since 14Sep14

次の問題点としては、入射ビームのサイズが大きい場合です。電子回折像を作りたい目的 の一つは像を作るにはビームの強度が足りないと言う場合があります。電子回折であれば 撮影が出来るけれども顕微鏡像は保存出来ない、それほどビーム量が少ない場合です。この 時、入って来るビームサイズはたいていの場合大きいことが予想されます。大きなビーム サイズは大きな収差を作ります。つまり球面収差によって、対物焦点面上に内側のビームは 対物レンズの近くに、外側のビームはそこから遠くにフォーカスが出来てしまいます。対物 前方焦点面と言う一つの面上にビームが集中せずにZ軸方向にある程度の距離を持って広がる こともあるわけです。この場合の電子軌道の例を図6に示します。この時は当然、ケーラー 照明によって全部のビームが平行になることは出来ず、図に見られるように、外側のビーム は収束し、内側のビームは発散するようなビームになってしまいます。この傾きの程度は当然、 前方焦点面を中心にどれだけビームが広がっているかによることになります。
 最後に、電子回折を正しく取るための要求としてビームの平行性と共に、もう一つ要求 されることはその明るさの一様性です。一般に電子ビームの明るさはガウス分布をしている と考えられます。これを突然立ち上がって一定の明るさを持って又突然なくなる矩形の分布 を持っていた方がよりよい電子回折が得られると考えられます。ガウス分布を持つビームを レンズの作用によって矩形の分布に変える方法は樽型歪を発生させて外側を明るく光らせて ガウス分布と相殺させると言う方法は考えられますが、実際にはかなり難しそうです。むしろ、 針の先端から電子ビームを放射状に発散させるフィールとエミッションFEG方法ではなく、平ら な面から一様にビームを放出させる光電子放出の手法で電子ビームを発生させる方が有利では ないかと考えられます。以上、電子回折図形を観察するための平行ビーム生成法と、その時 の色々な問題点についてお話ししました。
最初のページ EOS津野"eostsuno@yahoo.co.jp
作成日 2014/05/10-->修正2014/09/16, 2019/03/23, 2021/07/08