神の手から人の手に
--電子レンズ設計へのコンピューターソフト導入物語 --
私はJ社にその会社で販売しておりました電磁石を使った装置の材料として使われる
電磁石材料をそれぞれの製品が必要としている品質に維持するという役割で入社
いたしました。当時、この会社では、電子顕微鏡が最もメインの製品で、次いで
NMR, MASS、工業用電子ビームや高周波応用機器などを生産、販売しておりました
。電磁石は電子顕微鏡用のレンズ、NMRやMASSのための磁場提供のものが
主な製品でした。その中でも、NMRは均一磁場の均一度が、10e-8とも10e-9とも
言われ、使用磁場が2万ガウス程度でしたので、その均一性のすさまじい要求を
満たすのが大変困難と言われるレベルでした。材料となる純鉄やパーメンダーと
呼ばれる鉄とコバルトが半々の合金が飽和磁束密度が最も高い物質で2.35Tesla
あるため、100MHzのNMR用として使われていました。
一方、電子顕微鏡の電子レンズとしては、純鉄と違って、パーメンダーは
結晶磁気異方性もゼロ近くのため、結晶粒のサイズが大きくても、純鉄ほど深刻
な非点や軸の狂いなどの原因とはならない利点がありましたが、石のようにかたい
金属で、加工が困難でした。こうした事情にあったのですが、超電導マグネットを
NMR装置に使おうといううねりが迫っていました。
今では、ほとんどの大きな病院にある脳の検査用のMRIは超電導マグネットを
利用したNMRなのですが、理化学用NMRでも、超電導マグネットへの置き換えが
進んでいました。この時、私は、一大決心をしてヘリウムやステンレスなどより、
自分は鉄が好きだからという理由で、電子顕微鏡専属に移らせてもらいました。
すでに入社以来何年か経過しており、私と一緒に入社した人たちは電子顕微鏡で
原子の像などを観察するのにも慣れていましたが、当時私にはできませんでした。
そこで私に与えられたテーマは、永久磁石レンズと超電導レンズの開発でした。
せっかく超電導磁石から逃れて電子顕微鏡部門に移してもらったのですが、結局、
与えられたテーマには超電導レンズが含まれていました。しかし、このテーマ
についてはいきなり始めることもできず、とりあえずは永久磁石レンズから始め
ておりました。H社などでは永久磁石レンズの開発に成功し、担当した人は
テクネクス工房と言う永久磁石レンズを使った走査電子顕微鏡の会社を作って、
今も販売を続けていますが、私の方は一個投影レンズを作っただけで、永久磁石
よりもその3磁極構造が作るS字歪収差のない投影レンズの方に関心が移って
しまって、同じものを電磁石で作り直したりなどして、永久磁石レンズの方は
おろそかになってしまいました。
ところが、そうこうしているうちに、UHPと呼ばれる高分解能の電子レンズに
問題が発生していました。それは、一台だけ作られてOxford大学のメタラジー
Professor Hirschの研究室に納入されておりました。ここは、Cambridgeマフィア
と呼ばれる電子顕微鏡のCambridge, Oxford大学 出身者の情報伝達組織で、その
団結力はすさまじく、ニュースはあっという間に世界に広まります。そこで、
沢山の受注の山を抱えたわけですが、軸と非点の不良で一台も作れなくなって
しまったのです。何とか出荷しても不良品としてクレームが来ていました。
このような、試作一号機だけ成功して後が続かないのはよくあることですが、
その原因が材料にあるのではないかと疑われ、そのために私が担当者
になったというわけです。材料が特に悪いわけではないということはすぐに
わかったのですが、担当者返上と言うわけにもいかず、私は加工上に
問題点かないかどうかを調べるために、毎日旋盤工場の見学に訪れました。
私は現場主義と言いますか、加工法に問題があるのではないかと考えれば、
その加工場所で日がな一日を過ごす現場主義の教育を受けていましたので、
それからは生産現場に行って毎日を過ごしておりましたが、あるときドリルの
刃が曲がって進んでいくのではないかと思いついたわけです。色々な観察
装置を備えた会社でしたから、その考えはすぐに確認され、ドリルの刃が
曲がって進んでいたということが確認されたわけです。
この時、私は穴の直径を大きくすることで、ドリルの歯が曲がってしまう
ことによる、軸不良と非点収差の発生を防いだのでした。もう一つの選択肢
として、当時はやってきた、電界加工や、放電加工によって、無歪で、穴を
明けるという選択もあったわけで、実際、私の後で担当者になった人は無歪加工
を取り入れることでさらに性能アップをはかりました。
穴径を1mmにしたところ、一台の不良も出ず、軸と非点は全品、合格しました。
そこでおしまいならばそれはそれでよかったのですが、当然のことながら
穴径を小さくすることによって性能アップを図っていたわけですから、性能は
悪くなりました。上司からは、カタログ性能を落とすわけにはいかないので、
それを考えるようにと言われました。当然のことではありましたが、ここで
私の有限要素法と収差計算による高分解能電子レンズ設計への道が開かれた
のです。当時、Dr. Munroの電子レンズの計算計算ソフトは社内に導入されて
いましたが、まだ誰も使っていませんでした。社内のコンピューターは、それが
使えるほどの性能を持っていなかったのです。
電子顕微鏡のレンズ設計と言う仕事は、順調に入社を果たして、電子顕微鏡
の技術部門に配属され、原子像の観察などの訓練を受けた人だけが担当できる
仕事でしたが、こうして、わきの方から入社した私のところにその仕事が
回って来たわけです。ここで、二つの選択肢があったわけです。一つは当時
はやり始めていた、無歪加工である、放電加工や、電界加工を用いる方法で、
私の少し前までの所属は磁性材料研究室、同じ部門に機械加工研究室もあり、
そこには電界加工機がありました。私がなぜ、この種の新しい加工法に目を
付けず、ドリルのままで穴径を大きくし、大きな穴径でも同じスペックが
得られるようにレンズの設計を変えようと思い立ったのか、今となってはその
理由を思い出すことが出来ませんが、このことが私に、J社にコンピューター
シミュレーションを導入させるきっかけになったわけです。
これを始めた最初、J社には有限要素法プログラムを走らせることのできる
大型コンピューターはありませんでした。当時課長であったH(後に社長)が
つくばの研究所の友人に頼んで計算をしてもらいました。私は、3~4個のデーター
をつくり、郵送でその研究所にデーターを送り、一週間くらいをサイクルにして
結果を受け取っていました。
この時、運よくと言いますか、その時のレンズ形状の収差を決めていたのが、
レンズの根元の磁気飽和であるということがシミュレーションの結果わかり
ました。レンズの特性がポールピース先端の形状によって決まっていたと
すれば、それを改善するためには、かなりの経験が必要ですぐには結果を出す
ことはできなかったと思いますが、まことに偶然と言いますか、その時レンズの
特性を決めていたのは、ポールピースの根元の磁気飽和でした。これは、当時の
私にとっては、私の専門分野と言いますか、電磁石の基本的な事柄でしたので、
直ちに直すことが出来ました。周囲の人々にとって、磁気飽和によってレンズの
性能が制限されていたのか、レンズの形状が、その光学特性を決めていたのか
といった区別はつきません。こうして、私はJ社の高分解能レンズの専門家と
して、その後発注が続いた超高圧電子顕微鏡の設計をめぐる騒ぎの中で、
コンピューターシミュレーションによるレンズ設計の環境整備に取り組むことが
出来たわけです。つまり、J社では、兄貴分である電子顕微鏡のレンズが電磁石を
使用していたことから、同じ電磁石を用いるNMR装置が製品系列に導入されました。
ところが、NMRの方が先に、より強磁場を性能アップのために使うようになり
ました。60MHzのNMRは14500Gaussの磁場を使いますが、性能向上のために100MHz
のNMRにしましたところが、23450 Gaussの磁場を必要としました。この高い磁場を
創りだすためには、電磁石材料の磁気飽和に対する配慮が必要でした。しばらく
遅れて、電子顕微鏡の加速電圧も、100kVから200kVに向上しますと、レンズとして
発生しなければならない磁場は、14100Gaussから、23500Gaussに向上しました。
この磁場の向上に対して、電子レンズとして使用する電磁石<の磁場の強さは、
14500 Gaussから23500 Gaussに向上させなければなりませんでした。この時、
既にNMR部門では、同じような磁場向上に対する対策は完成した
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図1. シーメンス社に1986年まであった超電導電子顕微鏡。 |
図2. シーメンス社の超伝導シールド対物レンズ。 |

図3. 有限要素法のマトリックス。 |
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図4.ケンブリッジ大学インペリアルカレッジのチャペル。 |

図5. インペリアルカレッジの宿舎。左端の上の階がニュートンの部屋のあった場所で、
そこがDr. Munroの部屋であった。 |
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