STYLE
EOS津野
電子光学講座
Contact: eostsuno@yahoo.co.jp
ここでは透過電子顕微鏡に使われる対物レンズの開発小史を述べます。TEM/STEMを作っているのは世界で4社しかありませんし、 そのレンズの開発を大学で行っているわけでもありません。ということで、実際にTEM/STEMのレンズ開発を経験できる立場 におられる人はこれらの4社の技術者(私も何年か前まではその一人でしたが)以外にはいないので、その設計上のノーハウを ここでご紹介してもしようがないと思われるからです。しかし、その開発の歴史は皆さんも興味を持っていただける内容を 持っているのではないかと思います。レンズの開発は、その最終ゴールまで到達してから、収差補正にバトンタッチしました。 その他のレンズSEM, LEEM, PEEMといった電子顕微鏡のレンズは、バラエティーに富んでいることもありますし、要求が異なっている こともあり、TEM/STEMのレンズとは全く違っています。これらは今も、いろいろな人たちによって開発が続けられています。

透過電子顕微鏡用レンズ

TEM/STEMの対物レンズの形状は、今では電子顕微鏡の発明者であるRuskaと、彼がシーメンス社に入ってそこで 電子顕微鏡の商業生産にかかわった時の同僚であったLieckeとの名前を冠して呼ばれているLiecke-Ruskaレンズ が大部分に使われています。これは特別の名前で呼ばれていますが、その内容は誰でも知っている、狭いギャップと 小さな穴径をもったレンズのことを意味します。対物レンズの収差はギャップが小さいほど、そして穴径も小さいほど 小さくなりますから、これは当たり前の設計で、試料を挿入できるぎりぎりまでギャップの長さを小さくしなさい ということに過ぎないわけですが、そこに至るまでは長い道のりでした。

このレンズの他にそれではどんなレンズがあるかといえば、3種類のレンズが知られていました。Conventional, Condenser-ObjectiveそしてSecond Soneと呼ばれています。この名前からはわかりませんが、この分類は照射 レンズとしての働きによるものです。Second-Zoneレンズ[文献1]は、明石製作所の明石さん達が始めたもので、コンデンサ レンズと対物レンズの前方磁場で、試料の直前に一度クロスオーバーを作るビーム照射方式です。 Conventionalというのが一番長く使われたものですが、コンデンサレンズと対物レンズの二つの 合成レンズでビームを試料上に照射します。コンベンショナルレンズの代表的な例としては、谷中 レンズが有名です。谷中レンズは、上側の磁極のポールピースの穴径が大きいのにも拘らず、高 分解能が実現できるレンズということで知られています。上極の穴径を大きくする必要性は 、試料の挿入方法にあります。昔はトップエントリーという対物レンズの上から試料の入った筒 を対物レンズの穴の中に落とし込む試料ホルダーが主流でした。穴径が大きくとも、ギャップを 狭くし、下極の穴径を小さくし、さらに下極のテーパー角度を60°程度と大きく取れば、収差は 主に下極側で決まるため、大きな上極の穴径が収差を大きくすることはないというのが谷中レンズ の考え方でした。谷中レンズが高分解能電子レンズの代名詞として長く使われた理由は、収差の 小ささとともに、試料ホルダがサイドエントリー方式に比べて軸対称であることから安定性に 優れ、また、試料に照射されるビームの照射角度が小さいため使いやすいという点がありました 。Liecke-Ruskaレンズと谷中レンズの文献は、電子顕微鏡開発史 のページに載せてあります。図1には今はなくなってしまったトップエントリー型と呼ばれる 試料挿入法を使う谷中レンズと、サイドエントリー方式と呼ばれた横から試料を挿入する方式、 同じくサイドエントリー方式ですが、高空間分解能が得られるリーケ・ルスカ方式のコンデンサ・ オブジェクティブレンズの例を示しています。

Liecke-Ruskaのコンデンサオブジェクティブレンズは、それが提案された当時においては、 電子顕微鏡の分解能はレンズの収差ではなく、装置の安定性や、非点などで決まっていたため、 特にそのようなレンズである必要がなかったこと、何よりも、コンデンサオブジェクティブ レンズというのは、上下対称なレンズの真ん中に試料を置きますので、下側のレンズで像が フォーカスするということは試料上にも照射ビームがフォーカスしてしまうことを意味して います。これをコンデンサレンズによってある程度広げないと像がよく見えないことになって しまいますので、照射レンズ系にかなりの工夫が必要になります。これができるようになった のはそれほど昔のことではありません。

しかし、分解能の向上によって、このコンデンサオブジェクティブレンズを上回る分解能を実現 することはできず、どうしてもこのレンズに頼らざるを得なくなったのが、1980年代だったわけ です。ちなみに、200kVの電子顕微鏡で、球面収差を谷中レンズでは0.7mmまで小さくすることが できましたが、それ以下は無理でした。これに対して、Liecke-Ruskaレンズでは、0.3x位まで 小さくすることができました。xは3とか5とかの数値が入ります。Cs=0.30mmにするのは私の経験 では無理でした。その様子を示したのが図2です。横軸がギャップの長さで下の軸には加速電圧 に依存しない一般化した長さでとってあり、上段に200kVの場合のギャップ長が取ってあります。 200kVで球面収差係数Csの値は0.31から0.32mm程度まで行っていますが、0.30mmを下回っていません。もう一つの点は、200kVでは0.3xmmを得るためには ギャップ長は1.5mm以内にしなければなりません。試料を入れるだけですと、これでも間に合わ ないことはないのですが、試料傾斜が少しは出来ないと結晶の方位角などを合わせられません ので、厚さ1mmのホルダーで少し+-10°程度の傾斜のために隙間を空けますと、結局Cs=0.4xmm位 が現実的になります。図3には、ポールピース先端の形状と試料傾斜の関係を示しています。 上の図では+-20°傾斜の場合が示されています。先端の帳面径と孔径、傾斜角などが関係して きます。もちろん、試料ホルダの厚みも考慮します。

分解能の限界については古くからTretnerの限界と言う式が知られていました。これを図4に 示します。ただ、この式ではその限界がレンズの作る最大磁束密度で決まると言うことに なっていましたので、レンズの形状を工夫してより高い磁場を作ればどこまでも高い分解能が 得られるのではないかと言う誤解を与えかねませんでした。
分解能の限界が、最終的にはレンズの形状ではなく、ポールピースに使用する磁性材料の飽和 磁束密度で決まることも図2を見ていただけるとわかります。バルク材料で最大の磁束密度を 持つのがパーメンダーあるいはパーメンジュールPermendurと呼ばれる49%Co-49%Fe-2%V合金 です。この飽和磁束密度は図2の上向き三角で示した2.24Tesla近辺になります。最高の磁束 密度を示すのは実は30%Co-70%Fe合金でその飽和磁束密度は図2の四角で示した2.43Tesla になりますので、材料の選択は最後の性能のところで影響が出てくることになります。 Permendurでバナジウムが2%も入っている理由はこの合金がかつては板材として冷間感圧延 されて使用されていたときの名残で、電話機の振動版として利用されていたと聞いています。 しかし、ポールピース材料としては板材ではなく熱間鍛造で整形されますから、バナジウムの 含有は不要でこれを抜くだけでもかなり飽和磁束密度は上がるだろうとか、いろいろ材料に 改良を加えてみた時代もありました。しかし、特別な組成で少量の金属材料を作ってもらう ことのコスト高により、実験をやってみたと言う程度で終わりになってしまっています。 図2のBs=2.75Teslaと言うのは鉄と窒素の合金薄膜で最高磁束密度がここまであがったと 言う話が出たことがありましたので、その場合はと思って掲載してみたものです。この点が、 電磁石のポールピース材料としての最高磁束密度合金を求める研究が永久磁石探索や超伝導 材料探索などに比べて実りの無い研究であると言うことでもあります。Fe-Coより高い最大 磁束密度を持つバルク合金材料は存在しないのです。

従って高分解能TEM用の電子レンズの開発はここで終了したわけです。 収差補正の成功が1990年代ですから、限界まで行ってからうまく引き継がれたということも できます。電子顕微鏡だけを見ていますとこれでよいのですが、強磁場を利用する他の装置 について見てみますと、事情はまったく異なります。ほとんどすべての強磁場装置、その 代表はMRIというNMRを利用した画像診断装置ですが、これらは超電導磁石に移行しました。 実は、電子顕微鏡レンズでも1960年代から超電導磁石への移行が検討されました。1980年 になって唯一成功したシーメンス社のDietlich女史ら[文献2]は、この装置の開発が終わり になってしまうことを恐れて、ドイツ政府に日本への技術移転の許可を求めました。 ドイツは、電子顕微鏡を発明した国として、政府もその開発に対する援助をしてきており、 シーメンスが電子顕微鏡事業から撤退した後も、Dietrichの定年まで超伝導レンズの研究を 継続するよう依頼し、1982年の時点で、その引退の時期が迫っていたのでした。こうした事情 から日本への移管が決まりました。ただ、どこに移管するかの選択に当たっては、交渉に 当たった私に対してディートリッヒの目は厳しかったことを覚えています。

その交渉の過程でわかったのですが、超電導レンズというのは、マイスナー効果という超電導 現象の中でも特異な効果を利用します。マイスナー効果というのは、物質の中に磁束が入り 込まないようにする効果です。、磁石の上に高温超電導体を乗せると安定に宙に超電導体が 浮いている現象として、科学の実験のデモンストレーションによく使われているのはピン止め 効果と言って、マイスナー効果とは区別されています。どちらの効果も実際に利用された例は ほとんどない現象です。図4(a)に超伝導レンズの模式図を示してあります。外見上は普通の鉄心 電磁石を使った電子レンズと同じ形状に見えますが、鉄の代わりに超伝導体でコイルを囲んで います。コイルも銅線ではなく、超伝導コイルが使われて永久電流が流されています。図4(b) には、ポールピース先端でこの超伝導体をなくして、隙間を空けてここから磁場をもらす場所 を作っている様子を示しています。コイルで作られた磁束は狭い超伝導体のヨークの中だけに 押し込められていたのですが、それがこのギャップから噴出しているわけです。その結果、 図4(c)に示すようなシャープな磁場分布を作ることができ、電子顕微鏡用レンズとして働かせる ことができたのです。

しかしながら、レンズというのは難しいもので、一つのレンズの中で何度もフォーカスを繰り 返しては何にもならないといいますか、収差が増えるだけなので、一回だけのフォーカスに しなければなりません。ところが、どんなに強い磁場が出ても、と言いますか、磁場が強く なればなるほど、一回フォーカスで終わりにするためには、磁場の働く距離、つまりギャップ を狭くしなければなりません。ところが、マイスナー効果の働く領域を余り狭くしますと、 マイスナー効果が破れてしまいます。実用的なギャップで一回フォーカスだけで終わらせる ためには、少なくとも加速電圧1000kV以上、出来れは3000kV位の加速電圧が好ましいことが 分かって来ました。それでは超高圧電子顕微鏡のレンズは超電導レンズで作れば良いでは ないかと思われるかもしれませんが、新たな問題が出てきました。それは、X-線です。超高圧 電子顕微鏡では高速の電子線が物質に当たってX-線を発生します。鉄心磁石のレンズを使った レンズでは鉄と銅の塊がかなりこのX-線を防いでくれますので、鉛の板による防御は多くは いらなかったのですが、超電導レンズでは、重い超電導体の使用量は極わずかで、大部分は 薄いステンレスの魔法瓶と、その中に満たすヘリウムや窒素ですから、X-線はそのほとんどが 通り抜けてしまいます。結局、鉄心電磁石と同じ程に厚い鉛をその周りに巻かなければならない のであれば、何のための超電導利用なのかわからなくなってしまいます。このような事情で、 電子顕微鏡は、強磁場を利用した装置の中ではほとんど唯一の今でも鉄心磁石を利用する装置 として残ってしまったわけです。ただ、シーメンスからの技術導入は、極低温電子顕微鏡 としての応用と言う観点から、私ではない別の人の手によって継続して行われました。 ヘリウム温度が継続的に維持される環境の方を利用しようとしたわけです。しかし、これも 別に開発していたヘリウムステージの成功によって、必ずしも超伝導レンズを極低温電子顕微鏡 として使う必要がなくなりました。

この様に、決して電子顕微鏡の技術者たちがほかの装置のように頑張らなかったから電子顕微鏡 レンズは超伝導に置き換わらなかったわけではなく、鉄心電磁石のほうが優れている理由が あってのことなのです。サボったわけではないことをご理解ください。ただ、今振り返って 考えて見ますと、マイスナー効果が破綻する条件をもっと押さえ込んでと言いますか、ギャップ の近辺の超伝導体の厚みなどをいろいろに変えて、もっと狭いギャップでもマイスナー効果の 破れない条件を見つけるなどの努力もしなかったことは悔やまれますし、あれから30年もたった 現代ではもっとマイスナー効果に強い超伝導体も出ているのかもしれません。そうした事情から 、これから再挑戦すると言うこともそろそろ視野に入れても良いのかもしれません。MRIの 驚異的な発展を見ても、超伝導技術は飛躍的に進歩しているわけですし、NMRが10のマイナス9乗 という高い安定度を必要としており、電磁石でこれを達成するために想像を絶するような努力が 行われたにも拘らず、超伝導コイルに移管した途端に安定度はひとりでに得られてしまったこと を考えても、収差補正の普及によって、かつてはNMRだけに求められていたような高い安定性が 電子顕微鏡にも求められるようになった今こそ、超伝導レンズは再び検討する価値が生まれて きたのではないかと言う気がしています。

コンタクト・質問は、こちらまで♪EOS津野" eostsuno@yahoo.co.jp
著者のページ

作成日 2017/08/15 修正2918/12/16

目次

2.透過電子顕微鏡TEMの電子レンズ

.2.1. 電子顕微鏡(TEM)用レンズ
.2.2. 平行ビーム・ケーラー照明
.2.3. 照射ビーム平行化のためのレンズ設計
.2.4. TEM/STEM用レンズのCs
<

走査電子顕微鏡SEMと二次電子

1.SEMの対物レンズ1
2. .SEMの対物レンズ2
3. .二次電子の発生と軌道
4.SEMの二次電子軌道計算1
5. 平行ビームの生成
6 . 走査型電子顕微鏡用対物レンズ
7. SEMレンズと電子銃の関係
8. 低加速SEMのためのリターディング
9. 最初のページに戻る
10. 著者のページ .

目次(全体)

0.最初のページ(このページ)

1.レンズの光学(FromTheGodHand)
2.透過電子顕微鏡(TEM)の電子レンズ
3.
走査電子顕微鏡(SEM)レンズ
4.
光電子顕微鏡(PEEM)電子レンズ
5.収差補正
6.偏向と非点補正
7.エネルギー・アナライザ
8. Wien Filter
9. スピン回転器
10.著者のページ


図1. (a). 谷中レンズとトップエントリー試料ホルダ。(b). 分析用対物レンズとサイド゛ エントリー試料ホルダ。(c). Liecke-Ruskaのコンデンサオブジェクティブレンズとサイド エントリー試料ホルダ。

図2. ギャップ長に対する球面収差係数Csの関係をポールピース材料の飽和磁束密度Bsを変えて示したグラフ。 ギャップ長は短いほどCsが小さくなるわけではなく最適値がある。Bsは小さいほど良いがこれには材料による限界がある。

図3. 電子レンズ先端の形状と試料ホルダの20°傾斜の設定。

図4. トレットナーの限界。

図5. (a)超伝導レンズ。(b). 超伝導体のマイスナー効果による磁束遮蔽とギャップからの噴出し。 (c).ギャップ上に作られた磁場分布。