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EOS津野
電子光学講座
透過電子顕微鏡(TEM)は生物屋さんからの要求で電気屋さんがその開発に取り組みました。一方、電子回折装置は 物理屋さんによって開発されました。電子回折装置はやがて電子顕微鏡と一体となります。ですから、ここでは 生物屋さん、電気屋さん、物理屋さんの協力によってTEMは出来あがったということが出来ます。一方、 走査電子顕微鏡(SEM)は別の発展を遂げました。まず、主体となったのは電気屋さんでした。戦後、レーダーの 研究者たちが始めた仕事と理解することが出来ます。一方、微小分析の装置であったX-線マイクロアナライザ の研究も行われていました。こちらは物理屋さんの仕事でした。分析も細く絞った電子ビームを試料の場所を 動かしながらX-線を発生させてその強さを測定しますので、SEMの機能が必要でした。と言うことで両者も結び 付いて行くのですが、この時面白いのは、SEMを開発した電気屋さんは、電子ビームを試料上に走査しましたが、 X-線マイクロアナライザを開発した物理屋さんは試料をXYに動かしてスキャンをやらせました。両者が 一緒になれば当然ビームスキャンにまとまるわけですが、物理屋さんにとってはビームをスキャンさせるための 電気回路はなかなか作れるものではなかったことが分かります。最近でも、ビーム走査が必要な装置をくみ上げる 時に、試料スキャンで間に合わせる先生がおられます。なにしろ、試料をXY方向に自動で動かす装置は市販のものが ありますが、電子ビームを走査する回路はブラウン管式のテレビには内蔵されていたとはいえ、回路だけの市販品 はありませんから。ここではSEMの開発の後を振り返りながらそれとレンズの発展とを結び付けて考えたいと思います。


SEM開発の初期

走査電子顕微鏡を世界で初めて作ったのはアルデンネだと言われています。アルデンネの名前は、古い日本の 電子顕微鏡の開発者にとっては思い出深い名前です。というのも、アルデンネの書いた「超電子顕微鏡」という 本は、1942年に日本学術振興会第37小委員会の手によって半年で翻訳され出版されています。この学振37委員会 は東大の瀬籐象二先生を委員長とする電子顕微鏡開発のための研究会で、この委員会から日本の電子顕微鏡開発が 戦中・戦後を通じて進められていきました。当時、日本の学問は世界から孤立し、わずかに同盟国であった ドイツからシベリア鉄道を通じて人力でもたらされる情報によって世界の進歩が伝えられていました。大きな機械 などは潜水艦によって、ドイツ占領下のフランスの港から運ばれましたが、途中でイギリスなどの攻撃にあって 沈没し、二回ほどしか、成功していません。日本の電子顕微鏡学はアルデンネの本を翻訳するところから始まった のです。

そのアルデンネは、本の執筆後走査電子顕微鏡の開発に取り組み成功したのですが、残念ながらイギリスの空襲に あって全てを無くしました。戦後ノートや写真などを元にした論文を発表していますが、今ではアルデンネの走査電子 顕微鏡は、バルクの試料が観察できるSEMと言うよりは薄膜試料の透過電子を観察するSTEMと考えられています。 STEMと言う装置が独立な名前として認識されていなかった当時は、透過電子顕微鏡(TEM)と走査電子顕微鏡(SEM)の二種類の 電子顕微鏡があり、アルデンネの開発した顕微鏡はビームを走査する機能を持っていましたので、走査電子顕微鏡(SEM) だったのです。ところが、今では、走査電子顕微鏡には二種類あり、走査透過電子顕微鏡(STEM)と普通の走査 電子顕微鏡(SEM)に分けられ、STEMはむしろTEMと一緒の分類に入る装置と考えられているわけです。

現代のSEMつまり、バルク試料の観察できる検出器を備えたSEMを開発したのは戦後レーダーの研究所からケンブリッジ 大学に戻ってきたSir Charls Oatleyとその弟子たちでした。オートレーの弟子たちはケンブリッジを離れてからも世界 各地でSEMの分野で活躍し、しかもその団結力が強く、1986年、96年など何度も会合を開き、彼らのSEM開発の歴史につい て詳しく発表しています。
これに対して日本ではどのようにしてSEMの開発が行われたのかに関しては、あまり書かれたものは残されていません。 むしろ、Oatleyの二番目の弟子であり、自分で作ったSEMの二号機をカナダのパルプ会社に納入し、自らも そこに一年間滞在して観察を続けたKCA Smithによって、日本のSEM開発の最初のきっかけが語られています。それは、 彼の滞在していたパルプ会社でのSEM像の観察中ににたまたま隣の部屋に反射電子顕微鏡の納入に来ていた野口が SmithのSEMの像のあまりの美しさにびっくりしたと言うことに始まります。私はこの話をSmithから聞いていたので、 アメリカの総支配人から帰国して日本電子の取締役になっていた野口に確かめたところ、彼はその美しさに仰天した という言葉で表現しました。早速野口は本社に連絡し、日本電子でのSEM開発が始まったと言うことでした。 Smithが感心して語るのは、SEMの商業生産はケンブリッジインスツルメントによって初めてなされるのですが、 日本電子が独自のSEMを商業生産したのは、ケンブリッジインスツルメントのわずか半年後だったという点でした。 この間の事情はようやく2006年になって、Oatleyの3番弟子のIBMのWellsによってKawasaki M Private Communication と言う引用付きで短く述べられています。 (OC Wells and DC Joy, SURFACE AND INTERFACE ANALYSIS Surf. Interface Anal. 2006; 38: 1738?1742 Published online in Wiley InterScience (www.interscience.wiley.com) DOI: 10.1002/sia.2431 The early history and future of the SEM)
Cambridge Instrumentと言う会社は、遺伝の法則で有名なダーウィンの甥によって始められた会社で、この当時 電子顕微鏡を生産していた会社ではありません。ケンブリッジ大学の御用聞きのような会社で色々な装置を作って いたわけです。当時、イギリスには電子顕微鏡のメーカーとしてはメトロポリタンビッカースと言う会社がありました。 しかし、この頃TEMではレプリカ法と言う試料に樹脂で型を取り、それにカーボンなどを真空蒸着しそのあとでこの樹脂を 溶かし去ってカーボン膜だけTEMで観察することで倍率の高いきれいな像を得る方法が普及しており、SEM像はこのレプリカ像 と同じようでいてでレプリカ像のようなきれいな像が得られなかったことでで、普及が妨げられていました。

TEMの開発初期にも、TEMでは試料が焼け焦げになってしまい、あるいは乾燥してまるでするめを観察しているようだ と言った評判で普及ははかばかしくなかったのと似ていたわけです。TEMの場合は、電子顕微鏡の発明者であるRuska の弟がたまたま生物学者で、兄の発明したTEMの普及のために電子顕微鏡による生物試料の観察に尽力したという ことが知られています。SEMではこうしたラッキーなことはなく、Oatleyのグループがあちこちの電子顕微鏡メーカーに 当たって製品化の約束を取り付けては、製作の指導をしたわけですが、どこも真剣に対応せず、ようやくケンブリッジ インスツルメンツが応じてくれたわけです。

Smithを感心させた日本電子の対応ですが、それがどのような経過で推進されたのかがあまり書きものとして残って いないような気がします。紀本・橋本・佐藤の3人組によって開発されたと言うことは聞いていますが、どのような スタートだったのかは聞いていません。紀本は日本電子退職後アプコ社を起こしてしばらく社長を務めていましたが、 このSEM開発の初期の出来事をいつか発表して頂ける事を願っています。

コンタクト・質問は、こちらまで♪EOS津野"tsuno6@hotmail.com"
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作成日 2014/05/02 小幅修正2014/09/17